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「Jリーグ2023」FC東京対浦和レッズ
Jリーグ2023 J1第1節「FC東京」対「浦和レッズ」 ※副音声は場内音声
▼Jリーグ新シーズン開幕!ワールドカップから2か月…“ブラボー”FC東京・長友&浦和・酒井、代表選手の活躍は?Jリーグは今年で30周年…新たな歴史を作るのは!?
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「Jリーグ」の出演者
【ゲスト】森保一,【解説】中村憲剛,【アナウンサー】曽根優,【リポーター】酒井博司,田中秀樹
「Jリーグ」について
「日本プロサッカーリーグ」は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ(ジェイリーグ、英: J.LEAGUE)。
主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。加盟するには参加カテゴリーに対応した単年のみ有効のクラブライセンスが必要である。
1993年に10クラブで開始し、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現:J1リーグ/J1)と「Jリーグ ディビジョン2」(現:J2リーグ/J2)の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とではリーグエンブレムや参加要件等様々な点で差別化されている。
2022年シーズン開始時点で、日本国内の40都道府県に本拠地を置く58クラブ(J1:18、J2:22、J3:18)が参加、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが11クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。
J1リーグにおける年間最終順位上位3クラブは、同年度の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会優勝クラブとともに、翌年度のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を与えられる(J1上位3クラブと天皇杯優勝クラブが重複した場合は、J1の4位に出場権が与えられる)。AFCチャンピオンズリーグにおける日本のサッカークラブも参照。
アルファベットの「J」をかたどった公式ロゴマークは、設立当時博報堂に在籍していた大貫卓也が手がけたものである。
理念と活動方針
Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている。
日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
豊かなスポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与
国際社会における交流および親善への貢献
また、次の内容の活動方針を掲げている。
フェアで魅力的な試合の開催
スタジアム環境の確立
地域交流の推進
フットサルの普及
サッカー以外のスポーツの推進
障がい者スポーツの推進
この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる。
クラブ名称表記
Jリーグでは方針としてクラブ名称を「地域名称+愛称」としており、発足当初から運営母体となった企業名等の名称は原則排除している。ただし、リーグ開幕前に行われた1992Jリーグヤマザキナビスコカップならびに開幕当初の一部報道では、クラブ名称表記について、「読売ヴェルディ」(ヴェルディ川崎)、「三菱浦和レッドダイヤモンズ」(浦和レッドダイヤモンズ)、「パナソニックガンバ大阪」(ガンバ大阪)、「日産FC横浜マリノス」(横浜マリノス)といった運営母体の企業名を含めた表記を行っていた事例もある。
設立経緯
日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した。1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり、1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』、1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった。
日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主の正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり、1977年にドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度により奥寺、木村和司を始め、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった。
1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにも関わらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた。
このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」、J.League x JFA公式サイトの「サッカーで振り返る平成史」でも、この1988年3月「JSL活性化委員会」設置をその始まりに置いている。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』(プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」を設置。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健や岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが、ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」で大勢を占めた。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し、翌1989年 6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し、JFA内に「プロリーグ検討委員会」が設置された。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである。プロリーグ構想は具現化され、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案の中から川淵が気に入り採用に至ったもの。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で、電通がペレの引退興行を始め、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる。
1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で、FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年か2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした。Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になった事も事実ではある。しかし、森健兒と木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて、川淵は日本サッカーに絶望し、一時サッカー界から離れていた時期があり、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで、木之本は「川淵さんのJSL総務主事就任前にプロ化の道筋はすでに出来上がっていた」、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが、2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早いと反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した。
1992年には前哨戦として、ヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。
「2022FIFAワールドカップ」について
「2022FIFAワールドカップ」は、2022年11月21日から12月18日にかけてカタールで開催される予定の22回目のFIFAワールドカップ。
2022年大会は当初、2018年大会と合わせてロシア、スペイン・ポルトガル、ベルギー・オランダ、イングランド、日本、韓国、アメリカ合衆国、オーストラリア、カタールが立候補を表明していた。後に2018年大会は2006年以来の欧州での開催が有力と見られることからアジア、アメリカ勢全てが撤退した。
2018年大会が欧州で開催されることが決定的となったため、同時に決定される2022年大会は欧州から選出されることが事実上なくなり、こうして本大会はアジアかアメリカでの開催が確実となった。
最終プレゼンテーションは2010年12月1日にFIFA本部で行われ、12月2日にFIFA理事会(現FIFA評議会)で投票が行われ、投票の結果、カタールに決定した。これに伴いカタールは予選免除となった(カタールはこれまでワールドカップ出場経験無しで、開催国決定の段階で本大会出場を果たしていないのは日本<2002年大会の開催国が決定された1996年にはまだ出場経験が無かった。1998年フランス大会で初出場>以来である)。中東での開催は初で、アジアでの開催は2002年日韓大会以来2度目。
開催国の決定方法は、国際オリンピック委員会の五輪開催地決定投票と同じ方式で、英国紙のおとり取材による買収疑惑発覚で職務停止処分を受けた2理事を除く、国際サッカー連盟理事22人によってFIFA理事会(現FIFA評議会)で投票。各回ごとに過半数の国・地域が出るまで投票を繰り返し、過半数がない場合はその回の得票最下位の国・地域を次の投票から除外する方式で行われた。同数になった場合のみ、ブラッターFIFA会長の1票で決まるという方式だった。
5候補の内、最初にオーストラリアが落選。その後2回目で日本、3回目で韓国が落選となった。アメリカ合衆国とカタールによる決選投票となった4回目でカタールが過半数(14票)を集め、同国の開催が決定した。
出場チーム数拡大の前倒しの動き
ワールドカップ本大会には、今大会までは32チームが出場するが、2026年大会からは出場チーム数が48チームに拡大することが決定されていた。しかし、2018年、FIFAのインファンティーノ会長がその時期を早め、2022年大会から出場チーム数を48チームとすることを検討していることを明らかにした。これは、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された南米サッカー連盟の年次総会で、南米サッカー連盟側から出場国数の拡大をFIFAの会長であるインファンティノに対して要請したものを受けてのことである。しかし、出場チーム数の増加に伴って試合数が増えるため、近隣の国の共催を検討することになる。
その後、FIFAは、2018年5月に、2018年6月13日にロシアのモスクワで行われるFIFA総会で出場国の拡大の前倒しについて議論することを発表した。しかし、2018年6月10日に行われたFIFA評議会(旧FIFA理事会)の後に、FIFA会長のインファンティノが、南米サッカー連盟が、要望を取り下げたのに加えて、カタール側からは合意されていないため、FIFA総会の議題から除外されることになった。
これについては、2018年6月10日に、FIFA会長のインファンティノが出場国の拡大について、「議論を行うには時期尚早」と話していて、その上で、「現時点では32カ国でのW杯を予定している。まずは開催国と話し合い、それから考える」とも述べている。その上で、2019年の初旬から始まる見込みの『2022 FIFAワールドカップ・予選』までには決めるだろうとも話している。2018年7月9日、カテル2022W杯組織委員会(開催国の組織委員会)副事務局長が、「48チームでの開催も可能」と発言した。2018年7月14日、インファンティノFIFA会長が、改めて、2022年大会は11月21日 - 12月18日の開催となることを発表した際に、「カタール大会の出場枠については、ロシアW杯後終了後、各地のW杯予選が開始される前に、FIFA評議会(旧理事会)での議論を重ね決定する。それは数カ月後には決まる見通し」と述べた。
2019年3月6日、2022 FIFAワールドカップでの出場国が48か国に拡大した場合に、クウェート及びオマーンとの共同開催を検討しているとAP通信が報じた。48か国になった場合、試合数が増加しカタール単独での開催は難しいため、カタールとアラブ諸国との関係改善の仲介役であるクウェートと、中立の立場を取るオマーンが共催候補国となっている。
2019年3月15日、アメリカのフロリダ州マイアミで開催されたFIFA理事会で、2022 FIFAワールドカップでの出場国を48か国に拡大する案を実現可能と認め、6月にフランス・パリで開催されるFIFA総会で正式決定する方針を示した。しかしその後の検討の結果、2019年5月22日にFIFAは、当大会は48チームに拡大せず32チームのまま実施することを決定したと発表した。
「2022FIFAワールドカップ」の開催日程
従来FIFAワールドカップは、欧州の主要なサッカーリーグがシーズンオフを迎える6月から7月に開催されてきたが、カタールを含む中東地域は夏の暑さが厳しく選手の体に与える負担が大きいこと、同地は冬季(1月)でも温暖な気候でありサッカーの試合の開催に支障がないこと(実際AFCアジアカップ2011は同地にて1月に行われた)などから、カタールに開催国が決定した直後にFIFA理事のフランツ・ベッケンバウアーが「カタールの冬季の1月開催」を提案した。欧州サッカー連盟(UEFA)会長を務めるミシェル・プラティニもこの意見に同調するなど、一定の支持者を集めつつある。しかし1月にワールドカップを開催するためには欧州主要リーグの開催日程を大幅に変更する必要があり実現は容易ではないほか、FIFA会長のゼップ・ブラッターが「現段階では6月から7月(夏季)開催が決定事項である」と語るなど、1月開催に反対する意見も根強かった。
2012年7月7日、ジム・ボイスFIFA副会長は、「エアコンスタジアムについては聞いている。しかし観客、選手が快適に過ごせるために、あらゆることを検討すべきだ。(略)(遅い時間のキックオフは)世界中のテレビ視聴者との両立という面で利点になるかもしれない」と語り、開催時期はこれまで通り6月から7月(夏季)だが、夜遅くに試合を開催することを検討していることを明らかにした(なお、カタールの6月の明け方近くの平均最低気温は29度、同じく7月は30度である)。2013年1月14日、ブラッターFIFA会長は「(エアコンスタジアム計画では、選手はカバーできても、競技場外の観客はカバーできない恐れがあるので)競技場の外もワールドカップであり、カタールの夏開催は疑問」とこれまでカタールで夏季(6月か7月)開催を支持してきた自身の意見を事実上撤回した。2013年3月2日、ジェローム・バルケFIFA事務局長は「医学上のレポートであれ何であれ、ワールドカップをカタールの夏(6月か7月)ではなく冬(1月)に行うべきだという根拠になるものがあれば、開催時期を検討する。既に固まっている2018年までの国際的な行事のスケジュール以外は全て変更の選択肢がある」と、FIFA役員としては初めてカタールの冬季(1月)開催の可能性を認めた。
2013年3月22日、カタールのワールドカップ組織委員会(カタール国内のワールドカップ組織委員会。これとは別に、FIFAのワールドカップ組織委員会もある)は、夏季開催の懸念の声に対し、「夏でも冬でも開催する準備は出来ており、どちらの開催になっても、ワールドカップ準備計画には影響しない」と発表した。
2014年9月8日、FIFAは、理事会(現FIFA評議会)の下に設けられた2018年から2024年までの国際試合日程を検討する作業部会で、2022年のワールドカップの開催日程を、通常の6月開幕から、1月か11月に開幕をずらすかについて協議を行った。
2015年3月19日、FIFA理事会(現FIFA評議会)で2022年大会は11月21日 - 12月18日の開催で、決勝戦は12月18日に行うことを発表した。また大会期間を28日に減らす方針も決めた。
2018年7月14日、インファンティノFIFA会長が、2015年3月19日のFIFA理事会(現FIFA評議会)の発表通り、2022年大会は11月21日 - 12月18日の開催となることを改めて発表した。
開催都市
本大会はドーハ、ルサイル、アル・ホール、アル・ワクラ、ライヤーンの5都市・8会場で実施される予定である。8会場の新規建設及び改修は、2015年に開始され、2019年10月に第1期3路線完成予定のドーハメトロ(メトロとあるが、地下鉄だけでなく地上鉄道も含む)などの鉄道によって結ばれる。決勝はルサイル・アイコニック・スタジアムで行われる。
交通及び宿泊施設
ドーハの人口の急激な増加に伴い、自動車も増加しており、交通渋滞が深刻になっているため、今大会に合わせて交通問題を解決しようと、公共交通機関の整備に力を入れている。ドーハメトロは、100駅以上、総合長211.9kmに及ぶ全線を2026年には開通する予定で、建設費用は350億ドル超と見積もられている。このカタール鉄道プロジェクトはドーハメトロやGCCネットワークなど約19の工事パッケージ(10億ドル)からなっており、15年に及ぶGCC鉄道プロジェクトに対する総投資額は1000億ドルに達するとみられ、都市交通システムとしては世界最大規模のプロジェクトとなる。その中で現在建設中で2019年10月に完成予定の第1期3路線によって、国際空港やワールドカップ全12会場、市街地などを結ぶ。3路線の名前は、ハマド国際空港などを結ぶレッドライン、ゴールドラインとグリーンラインである。3路線の全長は86kmで、32駅を設置する。各路線は無人運転システムを搭載し、時速100kmで走行、1時間あたり8000人以上の乗客輸送を予定している。カタールレールによると、ドーハメトロ鉄道システム導入で、自家用車などが約17万台以上減少し、交通渋滞が解消され、年間の二酸化炭素排出量を約258万トン削減可能という。日本企業がデザインした車両の外装と内装は、カタールの伝統や環境を反映したものである。高水準の豪華さと快適さを求める乗客向けのカタール風のゴールドクラス応接室である「マジリス」、子ども連れの乗客向けでファミリーシート配置の車両「ファミリークラス」、ロングシート配置で車内が広く使える車両「スタンダードクラス」の3種類の乗客層に分けた車両がある。また、全車両には路線案内情報やエンターテイメントを表示する大型画面が付いている。
今大会期間中に最大100万人のファンがカタールを訪れると予想されている。現在施設などの建設を進めているものの、カタールで使用できるホテルは16000部屋であるため宿泊設備の不足が予想されている。その為、2015年4月19日、カタール政府観光庁は今大会期間中にドーハ・エリア・ターミナルに5つのクルーズ船を停泊させ、その中の6000部屋をホテルとして使用すると発表した。また、2016年9月27日、カタールW杯組織委員会(開催国の組織委員会)は、カタール南部に2000人収容の「ファン」テント村を5か所設置すると発表した。まずは試験計画として、30万m2の用地に650のテントを配置する。そこから最も近いスタジアムは、車で1時間半の距離にあるアル・ジャヌーブ・スタジアム(準々決勝まで使用)である。
エアコンスタジアム計画
カタールのワールドカップ招致委員会は、太陽光発電による空調設備を備えて温度を27度以下に保つスタジアムを整備すると開催国決定前に発表し、ドーハ国際空港から南西へ車で10分余りの場所に、「ザ・ショー・ケース」と名付けられたワールドカップ招致用見本のドーム型ミニスタジアムをわずか3カ月で完成させた。開閉式の屋根で収容人数は約530人、隣接した太陽光パネルによる発電を利用して室温を18度まで下げることができる。2010年9月にFIFA視察団が同競技場を訪れた際、屋外の気温は47度だったが、冷却装置を稼働させた内部は23度に保ったという。また、AFCアジアカップ2011の会場であるジャシム・ビン・ハマド・スタジアムは太陽発電ではなく、通常電源によるエアコンを完備。2011年11月8日に日本代表がブラジルワールドカップアジア3次予選合宿で、同スタジアムを使用した。その際、スタジアムの外の気温は23度だったが、冷房が効いたピッチ上は約16度だった。
このように、エアコンスタジアムでのカタールワールドカップ夏場開催は可能であるとされる。但し、冷却のための費用は莫大な額が見込まれている他、試合会場や練習場など選手の活動範囲には冷却装置を導入できても、一般客が動く全ての場所まではカバーできない可能性がある等の問題がある。そのため、2015年3月にはFIFAより当初予定されていた6月 - 7月の夏開催から11月から12月にかけての晩秋 - 冬開催への変更が発表されるに至った。
気候
ケッペンの気候区分では砂漠気候(BWh)となっている。開催時期の11月の平均気温は24.2度、平均最高気温は29.5度、平均最低気温は19.5度、12月の平均気温は19.2度、平均最高気温は24.1度、平均最低気温は15.0度となっている。降水量は11月が3.3mmと乾燥している一方、12月は12.1mmと年中乾燥しているカタールの中では降水量が増える。
時差
時差は協定世界時より3時間進んだUTC+3に属する。日本との時差は6時間遅れとなる。
招致疑惑
2002年からFIFA理事を務めていた小倉純二によれば、従来のワールドカップ開催地決定に関して最も影響力のあるのはFIFA視察団が立候補国を現地調査して提出する調査報告書(レポート)だった。この大会のレポート評価は、2022年開催が決まったカタールは全体及び2018年の5候補内の両方で最下位だった。また、調査報告書には、「選手やサポーターの健康上のリスク」が記載されていた。
そのため、2022年のサッカーワールドカップの開催地にカタールが決まった直後、イギリスのジャーナリストやサッカー関係者などの間から、カタールの勝因は賄賂だったのではないかという疑惑が浮上。
疑惑報道
2010年10月、サンデー・タイムズ紙は、ナイジェリアとタヒチのFIFA理事が賄賂の見返りに投票する予定であると述べている盗撮ビデオを公表した。同時に、コートジボワールとカメルーンのFIFA理事が賄賂を受け取ったとの招致委員の証言を報じた。また、2013年1月29日発売のフランス・フットボール誌において、カタールの招致委員会がワールドカップ招致を成功させるために様々な不正行為をおこなっていたとのレポートが掲載された。カタールは招致費用に3375万ドルを費やしており、その内、招致アンバサダーに就任したジダンは報酬として1100万ドルを受け取っていた。
2010年10月にニコラ・サルコジ大統領の招待でパリのエリゼ宮において設けられた席で、カタール皇太子とプラティニUEFA会長、PSGのオーナーは、PSGのカタール資本への売却、新しく設立したテレビ局による高額の放映権料の支払いをする見返りとしてプラティニのカタールへの投票が決められたとされる。大会開催に際してのインフラ構築へのフランスの参入や、プラティニの息子がカタールの関連会社へ就職したことも関連しているとしている。ミシェル・プラティニUEFA会長がカタールに投票した2011年に、カタールとフランスの間での巨額の貿易取り引きが締結されたと伝えられ、投票の10日前にプラティニ会長と当時のフランスのサルコジ大統領、カタール首相の間で会合があったという疑惑がある。そのプラティニはこの会合の存在を認めているが、不正は否定している。また、2010年12月2日に行われた開催地を決める投票の直前に、ミシェル・プラティニUEFA会長がモハメド・ビン・ハマムに密かに会っていたという。
2014年3月18日付のイギリスのデーリー・テレグラフによれば、「FIFA元副会長のワーナー氏とその家族が、カタール出身でFIFA元理事のハマム氏が経営する会社から約200万ドル(約2億円)を受け取っていた」と伝えている。
2014年6月1日付のイギリスのサンデー・タイムズが、当時務めていたFIFAのカタール人の理事からアフリカ各国のサッカー連盟の幹部などに、合わせて500万ドルの秘密資金が支払われていたと伝えた。この記事はFIFAの幹部(匿名)からの文書や電子メールを基にしているものである。それによれば、資金を提供したのは、アジアサッカー連盟会長も務めていたモハメド・ビン・ハマムで、2010年12月に2022年のワールドカップ開催地が決定する1年以上前から、自ら設立した企業の基金を通して、アフリカ出身の4人のFIFA理事に、カリブやアフリカ30カ国、それに、太平洋諸国などのサッカー連盟幹部に加え、元FIFA副会長のジャック・ワーナーらに対して、サッカー振興などの名目で、口座を通じて、資金を提供していた。その資金を受け取った幹部の多くはFIFAでの投票権を持たなかったものの、モハメド・ビン・ハマムはアフリカ出身の4人のFIFA理事への影響力を期待したとみられ、その根拠として、サンデー・タイムズでは、資金の流れを示す金融機関の文書や電子メールのやりとりも入手していると主張した。さらに、この記事では、カタールでの手厚い視察旅行の内容に加え、入金確認後の「お礼メール」の文面も伝えている。また、国際サッカー連盟の元副会長ジャック・ワーナーとその息子には約120万ドル(約1億2千万円)、息子に約75万ドル(約7500万円)が支払われた文書が明らかとなっている。
2014年6月8日付のイギリスのサンデー・タイムズが伝えたところによれば、元FIFA理事のモハメド・ビン・ハマムは、タイサッカー協会の会長でFIFA実行委員のマクディを通じて政府レベルの会談をセッティングし、カタールとタイの閣僚レベルを仲介して 天然ガスの取引の便宜を図ったという。その後、タイはカタールとのエネルギー協定を改めた上で、液化天然ガスの100万トンあたりの価格を値下げし、「非常に安い」価格で ガスの輸入を始めた。この取引は開催地を決める投票の4カ月前に行われており、その天然ガスと引き換えに支持を求めたと指摘している。また、ハマムは2010年にロシアのプーチン大統領の招きに応じ、ロシアとカタールの間におけるスポーツ交流を話し合うためモスクワを訪れた。その1ヵ月後、ロシアとカタールは2018年と2022年のワールドカップの招致に成功。それから2日後に、カタールの元首がロシアを訪問し、ロシアのプーチン大統領と天然ガスの合同生産について話し合ったと伝えている。
また、2002年当時、FIFAの副会長を務めていた韓国のチョン・モンジュンが、FIFAの副会長職を保障してもらう条件を前提にして、カタールの招致のためにアジアサッカー連盟の元会長と談合しており、私的な接待を繰り返していたとサンデー・タイムズが報じている。
サンデー・タイムズのサラ・バクスター副編集長は「(FIFA元理事の)ビン・ハマム氏が、投票に影響のある人たちに対して賄賂を渡したり、裏金を操作していた証拠がある」と述べている。また、イギリスのサンデー・タイムズでは、今回自らが行った一連の報道について「電子メールや賄賂に使われた口座、領収書、当事者の口述など数百万件の確たる証拠を相次いで公開した。これらの証拠は4年間にわたって調査した結果である」としている。
FIFAによる調査と対応
2018年と2022年のワールドカップ招致に絡む不正行為の疑惑報道を受け、FIFAの倫理委員会が、開催地の決定投票に関わった、当時の理事会(現FIFA評議会)メンバーのうち、ブラッター会長ら現職の理事を対象にした調査に乗り出した。
調査の方法はFIFAの倫理委員会と、FIFAのブラッター会長が雇った、アメリカ連邦地検の元検事で、弁護士の経験がある、マイケル・ガルシア調査員が2014年6月2日にオマーンでカタールの組織委員会と会合を行い、事情を聴いた。この調査は日本を含め、2つの大会に立候補した全ての国を対象に行われていて、FIFAの倫理委員会では「数か月前からこの問題を調査していた」との声明を出している。
当初の予定として、マイケル・ガルシアの話では、「調査は2014年6月9日に終わり、7月半ばには報告書を準備できる」と述べ、サンデー・タイムズ紙が得ている情報についても、「すでに知っている」と示している。また、マイケル・ガルシアは電子メールでの声明で「この報告書では過去の調査で集めた証拠をはじめ、招致プロセスに関連する可能性のあるすべての証拠が考慮される」と表明した。
また、FIFAでも、内部に設けた調査班で、2018年と2022年の開催地決定の経緯について、独自に行っている聞き取り調査を、当初は2014年6月9日までに終え、6週間以内、つまりは、ブラジルワールドカップ終了後の2014年7月中旬に、調査結果の報告書をまとめ、FIFAの倫理委員会に提出して、その後、2014年9月か10月以降に、FIFAが、その結果を公表した上で、2022年の開催地を再投票するかどうかを含め、何らかの措置をとることを明らかにしていた。
なお、この問題については、2014年6月7日にブラジル・サンパウロで開かれたFIFA理事会(現FIFA評議会)でも取り上げられ、今回の問題への対応は、FIFAの倫理委員会の調査結果を待って検討することを理事会(現FIFA評議会)の中で確認。
2014年6月11日と6月12日の2日間にわたって、ブラジル・サンパウロで、FIFA総会が行われ、当初は今回明らかになった疑惑について議題が上がることになっていたが、FIFAのブラッター会長は、初日の2014年6月10日、2日目の2014年6月11日でも、今回の不正疑惑についての言及はなく、今回上がった疑惑についても、総会の議題にも挙がらなかった。
2014年7月21日、FIFAは、2018年・2022年のワールドカップの招致に絡む不正疑惑を調べていた、倫理委員会の調査部門が、2014年9月の第1週までに報告書をまとめて、処分するかどうかを決める倫理委員会の審議部門に提出するとの見通しを発表。
2014年9月5日、FIFAは倫理委員会の調査部門トップを務めるガルシア氏らが、2018年と2022年のワールドカップ招致に絡む不正疑惑について、350ページの調査報告書をまとめ、裁定部門に提出したと発表。
この調査部門では、およそ1年間にわたり75人以上の関係者に聞き取りを行い、インタビューの録音記録など、およそ20万ページ分の証拠を調べた上で、詳細な事実関係などが明記された。さらに、2018年開催地のロシアと、カタール開催となった2022年大会に立候補したアメリカに関する補足文書も提出されたという。
なお、報告書の内容は公開されていないものの、FIFAでは「明らかになった新事実や、関係者への追加処分、今後の招致活動に関する提言などが掲載されている」と話している。この報告書を基に、裁定部門がFIFAの倫理規定によって最終判断が下される。
しかし、2014年9月23日に、FIFAの理事を務めるヨルダンのアリ王子はツイッターで「透明性のためにも(2018年と2022年ワールドカップ(W杯)開催国の選出をめぐる不正疑惑の)調査レポート全体が開示され、一般に公開されることは大事」と述べ、「サッカーのためになるようにFIFAの組織を改革していくうえで、(報告書の公開は)サッカー社会が前進するための助けにしかならない」と指摘。
2014年9月19日、FIFA倫理委員会の裁定部門トップを務めるハンスヨハヒム・エカートが「取り調べの結論が出るのは来年(2015年)春以降になる」との見通しを明かした。
エカートは報告書について「(2014年)10月下旬か11月上旬までに分析し、調査部門が精査した上で最終的な結論を出す」とした上で、「最終結論による処分は個人に対するものに限ること」を明らかにした。
多数のグループとメディアは、この大会を主催するカタールの適合性と気候条件に関する懸念を表明した。カタールの人権(特に労働者条件、LGBTにおける権利)の解釈もその1つである。
ホスト国としてのカタールの選択については物議を醸していた。FIFAの役員は汚職で告発され、カタールがワールドカップを、いわば「買うこと」を可能にしていた。建設作業員の扱いについては人権団体によって疑問視された。そして、計画を現実にするために必要であった高コストは批判された。 いくつかの気候条件に加え、夏から冬への開催時期の変更に加え、エアコンスタジアムについての当初の計画が実行不可能になった。 FIFAのゼップ・ブラッター会長は後で、ワールドカップをカタールに行うことについて「誤り」であったと述べた。
2019年6月18日には、プラティニが誘致をめぐる汚職容疑でフランス当局に逮捕されている。
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