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A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)吉岡里帆出演回の見逃し配信無料動画と再放送情報!

A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)の見逃し配信無料動画と再放送情報!

TBSで金曜日に放送されている対談トーク番組「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」吉岡里帆出演回の見逃し配信や無料視聴方法などの無料動画配信について、再放送などの情報を紹介していきたいと思います!

この「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」の動画配信なのですが、今現在「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」の動画配信を行っているサービスはありません。

※「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」はTBSで放送されていることから、通常であればParaviパラビで配信されるべきなのですが、今のところ動画配信はどこでも行われておりません。

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「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」吉岡里帆出演

書道と芝居に打ち込んだ学生時代…仲間たちが大集合⁉▽知られざる下積み時代▽“あざとい”イメージ⁉幼馴染が明かす素顔▽秘蔵写真も続々公開▽思わぬサプライズに涙‼

今回のゲストは、学生時代から小劇場の舞台や自主映画でキャリアを重ねてきた女優の吉岡里帆。鶴瓶とは『しずかちゃんとパパ』、藤ヶ谷とは『華麗なる一族』とMCそれぞれとドラマでの共演経験がある吉岡。今回も極秘取材で知られざるルーツと素顔にせまる‼書道八段…大学では書道コースで学んでいた吉岡!現在は書作家として活躍する大学時代の友人に鶴瓶が極秘取材!当時、吉岡が夢を語り合った仲間たちがリモートで大集合⁉

芝居という夢のためにアルバイトをいくつも掛け持ちしながら頑張っていた日々…芸能活動と書道の勉強との両立に悩んでいた吉岡の背中を押してくれた仲間たちへの感謝‼そして鶴瓶は、吉岡が下積み時代からお世話になり、今では飲み友達という尊敬する大先輩の俳優・石倉三郎にも取材!吉岡に対して「まさかここまで売れるとは思わなかった」と正直な感想を口にしつつ、当時からほとばしっていた吉岡の芝居への情熱を証言する石倉!

石倉も目にしていたという、吉岡がブレイク前に味わった屈辱の体験とは…⁉一方、藤ヶ谷は地元・京都の幼馴染の親友たちに取材!世間では「あざとそう」というイメージでも話題になることが多い吉岡だが…実際は全くそんなことがなく、「動物でいえばキツネじゃなくてサル」「芸能人のオーラが無い」など幼馴染だからこそ語れる素顔が次々と…!さらに藤ヶ谷は家に遊びに行くほど仲良しの女優・愛原実花にも取材!

つい最近、二人でいるときに起こった「コーヒーのドリップ失敗事件」など藤ヶ谷が超最新情報を仕入れていることに吉岡は驚愕&赤面⁉女優としての転機となった作品というドラマ『カルテット』や来週に公開の主演映画『ハケンアニメ!』の話題も!学生時代の秘蔵写真も大公開!!そして大学時代の仲間たちからの思わぬサプライズプレゼントに涙…‼どうぞお見逃しなく‼

「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」の出演者

【MC】
笑福亭鶴瓶
藤ヶ谷太輔

【ゲスト】
吉岡里帆

※「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」はTBSで放送されていることから、通常であればParaviパラビで配信されるべきなのですが、今のところ動画配信はどこでも行われておりません。

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「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」について

「A-Studio」は、TBS系列で2009年4月10日から毎週金曜日の23:00 - 23:30(JST)に放送されている対談形式の公開トーク番組である。ステレオ放送、文字多重放送を実施している。

2020年4月3日からは、番組名を『A-Studio+』(エー・スタジオ・プラス)へ改題。

笑福亭鶴瓶が旬であったり注目の人物『Actor(男優)』『Actress(女優)』『Artist(芸術家・アーティスト)』『Athlete(運動選手・アスリート)』の素顔に迫る番組で、タイトルの“A”はこれらから取られている。

司会を務める鶴瓶にとって、TBSのレギュラー番組は『大笑福亭鶴びん』以来12年7ヶ月ぶりであり、第1回目のオープニングでも自ら言明している。アシスタントは、特に明言されていないが放送開始から1年ごとに交代している。モデルの小泉深雪にとっては、テレビで初めてのレギュラー番組になった。

この枠で純粋なトーク番組が放送されるのは、1988年4月 - 1989年3月に放送された『金曜気分で!』以来、約20年ぶりとなる。

テリー伊藤は、2009年で最も面白かった番組を尋ねられた際に本番組を挙げ、「非常に直球」と評している。開始当初の視聴率は前番組の『恋するハニカミ!』末期より僅かに上昇した程度であったが、放送開始から約1年後の2010年3月26日の放送(総集編)では番組初の視聴率2桁(12.2%)の大台に達した。

その後も概ね8 - 9%台の視聴率をキープしており、時には10%を超えることもある(いずれも関東地区、ビデオリサーチ社調べ)。

2016年4月1日放送分からは解説放送を開始。金曜23時台前半の花王1社提供枠の番組初の解説放送である。

2017年3月31日放送分からはスタジオセットとロゴがリニューアルし、「A-STUDIO」にタイトルが変わった。

2020年4月の春改編で、番組12年目を迎えるに当たり番組をリニューアル。4月3日より、女性アシスタントを廃止して新たに藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)をMCとして加入。

当番組に男性レギュラーが加入するのはこれが初めてで、引き続きMCを務める鶴瓶とのダブルMC体制へ移行した。同時に番組名も『A-Studio+』(エー・スタジオ・プラス)へと変更された。

「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」の放送内容

鶴瓶自らが実際にゲストの出演している番組や舞台などを見聞きしたり、ゲストに近しい人にインタビューするなどの取材を行った上で、スタジオでのトークでゲストの素顔に迫る。

2020年4月3日放送分からは鶴瓶と藤ヶ谷が其々分かれて実際にゲストの出演している番組や舞台などを見聞きしたり、ゲストに近しい人にインタビューするなどの取材を行った上で、スタジオでのトークでゲストの素顔に迫る方式に変更された。

番組の最後ではスタジオに鶴瓶1人が残り(この時スタジオの照明が落とされ、鶴瓶にスポットライトが当たる)、ゲストに関する締めのコメントを言う(ゲストはそれをセット裏で聴いている)。

ゲストが歌手の場合は、オープニング後のCM明けと終盤の鶴瓶のコメントの後に歌を1曲ずつ歌う(通常1曲目はゲストの代表曲、2曲目は新曲またはトークで話題にあがった曲)。

インタビューする人物の対象は共演者やマネージャー、さらには家族や学生時代の同級生にまで及ぶ。また、ゲストが収録日を迎えるまで取材を受けた事を公言してはいけないため、いつも一緒にいるはずのマネージャーや家族、さらに数年来会っていない友人がインタビューを受けたことを知り、驚愕することも多い。

放送作家を務める鈴木おさむは、番組が成功した理由の1つに「汗をかいている人が明確であること」を挙げている。この番組では通常のトーク番組が行う出演者への事前アンケートを一切行っていない。

これは鶴瓶がトーク番組の事前アンケートの多さに疑問を持ち、「ゲストにアンケートをとらずに手ぶらで来てもらおう。そうしたら違う面からアプローチできるのではないか」という気持ちから行った試みである。その代わり鶴瓶は、どんなに時間を割いてでも自分が取材を行うことを約束したという。

「A-Studio+(Aスタプラス、Aスタジオ)」のスポンサー

花王が一社提供しており、提供テロップは、前番組『恋するハニカミ!』までの中央寄りから画面右上に寄っており、光と共にフェードインしながら表示されるが、前番組まで約25年近く続けられていた「提供」の文字は表示されなくなり、2009年10月からは漢字の「花王」がアルファベットの「kao」に変更された。

2021年9月現在の提供読みは「A-Studioは、自然と調和する心豊かな毎日をめざして、花王の提供でお送りします(しました)」。

また、花王の主力商品の1つが画面左下に置かれている。画面左下に置かれている商品は定期的に変わるが、当番組ホームページにアクセスして応募した者の中から抽選でプレゼントされる。

2011年3月11日の東日本大震災発生後は、3月25日放送まで提供を自粛したためACジャパンによる公共広告に差し替え、4月1日放送以降は花王のCMが復帰したものの、提供クレジットと提供読みがない状態が続いていたが、2011年5月6日放送より再開された。また、2016年4月14日の熊本地震発生時は、4月22日放送分で提供クレジットのみ自粛し、同29日放送分で再開した。

また、同番組は字幕放送に対応しているが、番組内で放送される花王のCMにも字幕放送が付いた状態で放送されている。字幕に対応しているCMの場合、CM冒頭画面右上に番組開始時と同様な枠付きの「字幕」のマークが入る(マークは番組開始時のものとは多少異なる)。

提供読みはナレーションだが、2018年度は川栄、2019年度は上白石が担当していた。

「笑福亭鶴瓶」について

「笑福亭鶴瓶」は、日本の落語家、タレント、司会者。本名は駿河 学。

大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)出身で、兵庫県西宮市在住。所属事務所はデンナーシステムズで、長年所属していた松竹芸能にも籍を残している。血液型O型。

愛称は「鶴瓶さん」「べーさん」「べー師匠」「鶴瓶ちゃん」「まーちゃん」、「まなぶくん」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。

2021年現在、松鶴の五番弟子である。

生い立ち・学生時代
大阪府中河内郡長吉村長原(現・大阪市平野区長吉長原)出身。5人兄弟の末っ子(12歳上の兄と3人の姉がいる)で、4軒長屋の自宅に祖母を含めた8人暮らしだった。

1961年頃には、登校途中に近所の男性に競馬場に誘われて、学少年が適当に指名した馬券をその男性が購入した所、それが的中し万馬券に化ける。驚き感嘆した男性は、約40万円の払戻金を丸々、学少年に手渡した。夜中に家族が寝静まった頃を見計らい、貰ったお札を数えていた所、その現場を母親に発見され大事に発展した。夜中にもかかわらず、くだんの近所の男性をたたき起こし、事の顛末を聞き出したことにより、正式に駿河家のお金となった。後に、母親にお金の使途を執拗に問い質した所、実家の増築資金になっていたことが判明。この話をテレビ朝日の『徹子の部屋』に出演時に話題にし、さらに母親から叱られたと語っている。

中学生の頃、2代目桂伸治が演じる「堀の内」に魅せられ、学校の教室で手作りの高座を用意し我流の「堀の内」を演じる。

浪速高等学校に進学。高校ではボクシング部にも所属した(先輩からの打撃で目を痛め、退部)。ボクシング部を退部後の2年生の終わり頃に、落語研究会を他の2人の生徒と立ち上げ、浪花亭無学の高座名を名乗った。

1969年、頭のいい人間に対抗心を持っていたため、京都大学や、大阪大学の入試の合格発表に行き、落ちていそうな生徒の隣で「あった!」と合格したフリをして、胴上げされるという悪戯をする。この時、大阪大学でNHKの取材を受け、模様が夕方のニュース番組で流れたため、それを見ていた親戚から祝電が届くなど両親に恥をかかせてしまう。

高校時代にすでに落語家になることを志望していたが、父からは反対を受ける。「うちの家から変わった人を出したい」という思いから、3年生の時には父から将来を問われて思いつきで「渥美清への弟子入り」を口にし、実際に上京して会いに行ったこともある(渥美が不在で会えず、大学進学を選択)。「過去を一旦捨てたい」という理由で友人たちが受けない英知大学・京都外国語大学・京都産業大学・関西大学を受験、関大以外から合格通知を得た中で、京都産業大学に進学する。京都産業大学を選んだのは、入学金が他の大学より破格に安かったことと、推薦入試を受ける友人に付き添って行ったときに出会った女性(のちに妻となる玲子)と再会できるのではないかという理由だった。

大学では落語研究会に所属し、童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。入学後まもなく偶然玲子と再会し、共通の友人がいたことから落語研究会にマネージャーとして勧誘、玲子には「レモン亭円(まどか)」という高座名も与えられた。一時期はここでの芸名を本名であるスルガ・マナブやプロになってからtsurubeと名乗ったこともある。親は入学金は出したが、それ以外の費用は自活するよう言われ、入学直後から六角通の旅館「三木半」でアルバイトをする。この旅館であのねのねの清水国明(1期上)と知り合った。同じくあのねのねの原田伸郎(同期)とは落語研究会に入った日に出会った。大学でも高校時代のようにクラスで皆を笑わせたいという欲求があったが、大教室は広すぎる上に出入りも自由で期待した効果がないため、最初の小教室の授業で、カセットテープに録音した出囃子を教授が教室に入る際に鳴らして笑いを取った。

清水国明、原田伸郎、玲子とともに、あのねのねのメンバーとなった(玲子はボーカル、鶴瓶は踊るのみ)。この時玲子は『ひょっこりひょうたん島』のテーマを歌っている。清水とは下宿で共同生活を送った時期もあった。やがて、あのねのねがスターになり、鶴瓶の結婚式に二人が札束を持ってきたエピソードもよく語られる。鶴瓶の結婚式・披露宴の代金をあのねのねが全て負担した(それでも余った)。

いずれ大学をやめて落語家になると公言していた駿河は、あるとき落語研究会の先輩2人から「いつになったら落語家になるんや」とからかわれたのに激怒し、2人を便所に連れ込んで「俺がどないしようと俺の勝手やないか!おまえらにガタガタいわれる筋合いはないわい!おまえらにいわれんでも、やめる時が来たらやめるんじゃ!」と殴打した。まもなく、駿河は大学を中退した。

入門・弟子入り
大学時代の駿河は当初3代目笑福亭仁鶴への弟子入りを考えていたが、観覧した落語会での6代目笑福亭松鶴の口演、とりわけ、客先にいた僧侶を見てネタを忘れたという理由でオチだけを話して高座を降りたことに「おもろい」と強い印象を受け、松鶴への弟子入りを決める。1971年1月の「京都市民寄席」の楽屋口で弟子入りを試みたが、「知らん人が見たらヤクザ」のような松鶴と弟子の姿におののいて声をかけられず、1年後に自宅を訪れることになった。

この訪問では居留守を使われ、粘って根負けして会った松鶴からは、入門は親の承諾が条件で、連れてくるように言われる。駿河は一計を案じて、「喧嘩で相手を負傷させ、謝らなくてはならない」という理由で父親を同行させ、松鶴から正式な入門の許しを得た。

1972年2月14日、11番弟子として入門する。入門から間もない頃、まだ高座名も与えられない時に島之内寄席で来場者の下足番を任された際に、名前も社名も言わずに入場しようとした新聞記者に対し、それまでの横柄な態度を腹に据えかねて「顔パス」を咎めたところ、下足札を投げつけられて「お前誰や!」と問われる。松鶴の弟子と答えると、松鶴のいる楽屋に連れて行かれた。鶴瓶は松鶴から問われてこの経緯を話した。すると松鶴は、鶴瓶を「向こう行け」と遠ざけてから、将来取材する対象になるかもしれない相手ではないかと記者を罵倒した。この件で鶴瓶は、「このおやっさんに付いていこ」と心服する。

「鶴瓶」という高座名が付くまでの経緯については、鶴瓶自身は時期によって異なる説明をしている。1982年の著書では、

入門からしばらくは高座名がなく、問われたときはやむなく「笑福亭駿河」と名乗ったりしていた。まもなく松鶴から「どっかひとつ抜けたとこあるしな……そうや、昔井戸で"つるべ"て使うてたやろ。なんやお前は、井戸のつるべのタガが抜けたみたいなとこあるし」という理由で「鶴瓶」の名を与えられた。
としていた。これに対して2013年の聞き書きでは

入門翌月にラジオ大阪やABCラジオの番組に出演したときにはすでに「鶴瓶」の名前で出演していた。松鶴からは「鶴之(つるゆき)」と「鶴瓶」の二つの名前から選ぶよう言われ、「鶴瓶」を選んだ(兄弟子の笑福亭鶴光も弟子入り時に「鶴之」と「鶴光」を示されており、そのことを鶴光から教えられた)。すると松鶴は『落語系図』で先代鶴瓶(本記事冒頭節を参照)について見るよう指示し、それを見て「おもろい名前つけてもろたなあと不思議な気持ち」になった。
としている。

同年9月26日に島之内寄席にて初舞台。初舞台の演目について、新野新の著書(1975年)では「東の旅 発端」としているが、鶴瓶自身は2013年の聞き書きで(同じ「東の旅」の一編である)「煮売屋」であったと述べ、人体の「逆さ言葉」を言う下りの「耳」のところで「ミンミン餃子、おいしいな」というくすぐりを入れて受けを取ったが松鶴から「よけいなこと入れやがって!」と叱られたとしている。

松鶴からはほとんど落語の稽古を付けられることはなかった。兄弟子である笑福亭松枝のエッセイのほか、鶴瓶自身の回想によれば、鶴瓶は「ある意味えらい怒られて稽古をつけてもらえなかった」存在であり、松鶴が機嫌のよいときに兄弟子の笑福亭松葉に「稽古を頼めよ!」とけしかけられて稽古を頼み込むと、鶴瓶の目の前に顔を突き出した挙句、「嫌や!」と突き放されたこともあった。ついには、「鶴瓶が聞いとるさかい風呂行って稽古しょう!」と他の弟子を引き連れて逃げ回られる事態に発展した。松鶴の盟友であった5代目桂文枝はこのことについて「稽古の必要はないと思ってるからや」と分析しており、また鶴瓶が松葉など年の近い兄弟子に可愛がられるための、松鶴による気配りであることを示唆している。また、鶴瓶と5代目文枝ともども、松鶴自身が5代目松鶴からあまりネタを教えてもらうことがなかったことが、稽古をつけなかったことの伏線とみなしている。鶴瓶自身は、松鶴が形にはめるよりも「あんまりいじくりまわさんほうがええ」と考えていたのではないかと述べている。松鶴の不在時に、松鶴の妻(「あーちゃん」と呼ばれていた)から三味線や落語の稽古を付けられることもあった。

ある落語コンクールでは、前記の『堀の内』に古典落語なのにオートバイに乗った人物を登場させるなど、「男子校向け」のアレンジを適当に加えて演じた。審査員からは「時代錯誤も甚だしい」と酷評され、やはり審査員である松鶴からは「こんなん、落語やおまへん。こいつには稽古つけてまへん」とまで言われる。だが、松鶴は帰り道に鶴瓶の尻を叩いて「おまえのが一番おもろかった」と告げた。

そのほかにも、高座にラジカセを持ち込み、笑いが欲しいシーンでスイッチを入れて笑い声を出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデアを披露したりしたが、これも松鶴に楽屋で叱られてしまった。ただしその松鶴も、若手時代には高座でバレリーナに扮して先代から怒られている。3代目桂米朝によれば、3代目桂米之助作の新作落語「白鳥の死」の口演のためだという。

入門当時には、小学6年生で12歳の兄弟子・笑福亭手遊(おもちゃ、入門は1971年10月)がおり、入門順が序列となる落語界のしきたりに従い、彼を「兄さん」と呼び、手遊からも「兄弟子」として振る舞われることがあった。ただし、小学生の手遊を大人の鶴瓶が「兄さん」と呼んで話す様が面白がられて二人でラジオ番組に何度も出演し、結果として番組に出る機会が増え、「鶴瓶いうやつ、おもろいねんな」と思われるようになったと、2013年の聞き書きでは述べている。一方、手遊の上の兄弟子である笑福亭松葉(没後に7代目笑福亭松鶴を追贈される)には面倒を見てもらい、仲のよい兄弟弟子となる。のちに松竹芸能の社長から7代目松鶴は誰がいいかと問われたときに、鶴瓶は「松葉と答えた」という。

若手時代、鶴瓶はアフロヘアーにオーバーオールという落語家らしくないスタイルを続けていた。3代目桂春団治や師匠の松鶴からは髪を切れと何度も言われたが(春団治は「金をやるから切ってくれ」とも言い、実際に金銭を渡した)、鶴瓶は従うことはなく、また松鶴や春団治もそれを楽しんでいる風があって、松鶴は途中から何も言わなくなったという。鶴瓶は、吉本興業所属の桂三枝や笑福亭仁鶴と比べ、自身の所属する松竹芸能の落語家が年齢が高いというイメージがあり、落語家の「古臭い感じ」に対する反発からそうしたファッションをしていた。

1970年代前半は、ユリ・ゲラーをはじめとする超能力・エスパーブームの時期だった。活動の場が早く欲しかった鶴瓶は、超能力(透視とスプーン曲げ)が使えることを松鶴に打ち明け、鶴瓶の超能力を目の当たりにした松鶴は驚愕し「ウチに超能力を使う弟子がおる」と松鶴自らがテレビ局に鶴瓶を売り込む。当然ながら超能力はテーブルマジックの類で、周囲に仕掛けを漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子と信じ切っている松鶴という場面に持ち込み、必死になって売り込む松鶴に便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、これを手がかりにテレビ、ラジオと進出する足場を作る。後に兄弟子の笑福亭仁鶴が鶴瓶のイカサマ超能力を暴き、松鶴は梯子を外された格好になった。また、このスプーン曲げは上岡龍太郎の不興を買った。鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いた。鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白いということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。

1974年10月12日に結婚。結婚式は大阪市中央区の「高津神社」で執り行われた。鶴瓶と玲子は交際を始めた年に「10年後の1980年12月23日に結婚する」と約束していたが、玲子が妊娠したことから6年早い結婚となった。玲子の親の承諾を得ないままでの結婚だったため、玲子側の参加者がいない異例の式だった。仲人は師匠の松鶴が務めたが、弟子13人の中で鶴瓶が一番「アホ」というスピーチをした。

タレント活動
入門4日目で、兄弟子の笑福亭呂鶴の代役を求める近畿放送ラジオ(現・京都放送)から松鶴への電話に留守番で出たことで、「誰でもいいなら」と応じて出演した。

初のレギュラー番組は近畿放送の『丸物ワイワイカーニバル』で、以降、近畿・中京地区でラジオ・テレビを中心に活動。1970年代半ばには東京のテレビ局の制作番組にも出演したが、自身に対するスタッフの扱いに反発して局部露出事件(詳細は後述)を起こしたこともあり、その後約10年は東京での活動をおこなわなかった。

1978年に始まった『ぬかるみの世界』で人気が上昇し、1982年から4年間続いた毎日放送の『突然ガバチョ!』の司会で再び脚光を浴びる。この番組は関西以外の地方でもネットされた。1982年、テレビ大阪の開局記念番組で取材を受けた際「アフロヘアーをトレードマークにしている」という声を耳にして、「けったくそ悪い」という思いを抱き、取材を受けている最中に髪を切り落とした。

鶴瓶は1982年の著書『哀しき紙芝居』で東京への(再)進出を「是非とも挑戦したいもの」と記し、同時に「そこをできるだけ自然に通り過ぎたい」と、自分のスタイルを変えずに行くことを望んでいた。満を持して1986年に、ビートたけしが出演する『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『オレたちひょうきん族』の裏枠のMCとして起用されるも、いずれも短期間で打ち切られ、「東京進出失敗」と週刊誌に書かれる。この状況で、鶴瓶に着目していたフジテレビプロデューサーの横澤彪が抜擢する形で、1987年から『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーとなった。『笑っていいとも!』および1988年から全国ネットとなった『鶴瓶上岡パペポTV』により、広く受け入れられるようになる。

1990年代以降は、本業の落語家やテレビタレントのみならず俳優や司会者としても活躍するようになり、顕著な活躍を見せている。その傍ら、関西圏のラジオ局では現時点でもまだレギュラー番組を持ったことがないラジオ関西を除き、必ずレギュラー番組を1番組は持っている。

2001年にコカ・コーラとのタイアップで、日本テレビと吉本興業が組んで制作されたドラマ『明日があるさ』にも、鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演した。

落語への回帰
道頓堀角座が健在のころは「『大安売り』と『いらちの愛宕詣り』ばっかりやってました」。しかし、当時の角座の昼席は落語にさして興味のない団体客を入れていたため、「落語を聞きに来るお客」がメインであった夜席を好んでいた。

1986年の6代目松鶴の死後、笑福亭梅香を襲名させる計画があった。初代桂文枝(正確には桂梅香)、2代目曽呂利新左衛門の前座名という由緒名であるが、一門での慣例から「梅香」の読みは「ばいか」「ばいこ」「うめこ」のいずれではないかと(本人は)推察。遺書に読み仮名が無かったため正確な読みは不明のままに加え、名前が自分に似合っていないということから辞退している。

2002年9月、江戸落語の春風亭小朝との二人会で『子別れ(子は鎹)』(落語を本格的に始めるにあたって4代目桂文紅にじきじき『子別れ』を稽古を付けてもらった)を演じたことを機に、落語への回帰を強めている。2003年3月、小朝、林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)らと落語家会「六人の会」を結成。また同年5月に上方落語協会理事に就任している。その後広報委員長を経て、2008年6月に副会長に就任した(2018年に退任、相談役に)。

多忙なタレント活動の合間を縫って「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」などの独演会を展開する一方、六人の会が主催する「東西落語研鑚会」にも参加。大阪・帝塚山の6代目松鶴旧宅で行われる演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰するなど、精力的に落語に取り組んでいる。古典落語にも「東西落語研鑚会」で『鴻池の犬』『らくだ』などに挑戦している。特に2004年の東西落語研鑚会で口演した『らくだ』は松鶴の十八番(おはこ)であり、松鶴門下では直々に稽古を付けられていた6代目笑福亭松喬しか、舞台での披露を許されていなかった題目である。『らくだ』には2003年頃から取り組み始め、そのために円形脱毛症を発している。

鶴瓶の落語への取り組みは、弟子に対する影響が少なくない。総領弟子の笑瓶を筆頭に、殆どの弟子が落語をしていない「テレビタレント」としての鶴瓶に弟子入りをしており、落語家に弟子入りしたという感覚が無い為である。鶴瓶が落語を始めた為、弟子も落語に取り組まざる得なくなり、笑瓶は新作や古典の改作に取り組み、純瓶は怪談噺に力を入れ、銀瓶は韓国語落語を打ち立てている。2007年3月には、銀瓶以降の6人の弟子が「シックスセンス☆六瓶の会」と題した落語会を大阪で開いている。

2004年から年に1回、桂南光と桂文珍との落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を開催。落語会としては異例の6,000円を超える料金も話題となる。チケットは、過去3回共完売。その他この3人は、2005年から「文珍南光鶴瓶+1 しごきの会」と題して、年に数回、baseよしもと(現在は天満天神繁昌亭)で若手落語家育成の為の会を開いている。

ヘヴィメタル雑誌『BURRN!』(シンコーミュージック・エンタテイメント)編集長であり多くの落語関連著書を執筆している広瀬和生は落語家としての鶴瓶について「落語演らない落語家」「鶴瓶噺なるジャンルを確立させた」と評している。

家族・親族
妻、長男、長女がいる。妻の玲子は先述の通り、あのねのねの元メンバーである。ある時期より鶴瓶の番組の企画書作りなどを手伝うようになり、『鶴瓶上岡パペポTV』の企画書は彼女がまとめたとされる。長男は俳優兼音楽ユニット「Human Note」のボーカル・駿河太郎。2008年7月26日、浜松近郊の病院で孫(長男の第一子)が生まれたことを『FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』で発表した。ちょうどこの時は鶴瓶と従兄弟弟子の明石家さんま・大竹しのぶ元夫妻との生のトークコーナーが放送されており、「早う、孫に会いに行きたいわ」とボヤいていた。2021年8月時点では計4人の孫がいる。

鶴瓶の実父は絵を趣味としながら梱包材を扱う店を営んでいた。死去した際、師匠の松鶴は「普通は弟子のお父さんの葬式なんかに行かない」ところを葬儀に出席したが泥酔の挙句大暴れし、鶴瓶の実姉に「松鶴かなんか知らんけど、人の親が死んでンねがな」と説教され、「あー、恐……」と言って鶴瓶になきついていたというエピソードがある。

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