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BSフジで放送されたバラエティ番組「次課・長州の力旅」の見逃し配信、無料フル動画を無料視聴する配信期間の情報や過去放送回のことや再放送、TVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)、Netflix(ネットフリックス)などで観れるかなどを紹介したいと思います!
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目次
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「次課・長州の力旅」「マンボウ」&「ご当地ヒーロー」の魅力探訪
今回のテーマは「マンボウ」&「ご当地ヒーロー」▽生態が謎だらけ…珍魚・マンボウの魅力に迫る▽ツッコミどころ満載!全国のおもしろご当地ヒーローが続々登場
次長課長&長州力が様々なマニアから知識を学び、力にするアカデミック散歩バラエティ「次課・長州の力旅」。
今回は…
①「マンボウ力を学ぶ八景島シーパラダイスの旅!」マンボウに熱中すること30年のマニアが登場。実はまだ解明されていないことだらけの魚“マンボウ”の魅力に迫る!ギネスにも認定された2トン超えの超巨大マンボウは千葉県で発見された!?マンボウの超貴重な映像も大公開!
②「ご当地ヒーロー力を学ぶ旅!」ご当地ヒーローを愛するあまり、大学にゼミを立ち上げてしまった熱すぎるマニアが登場!杉並区・方南町のご当地ヒーローと共に、番組に馴染み深いある人物と遭遇!メジャーなヒーローにはない魅力満載のご当地ヒーローが続々登場!仮面を忘れちゃう埼玉県のドジなヒーローや市役所の職員が休日返上でなりきるグダグダすぎるヒーローなど。突っ込みどころ満載なご当地ヒーローに一同大爆笑!
「次課・長州の力旅」の出演者
【旅人】
長州力・次長課長(河本準一・井上聡)
澤井悦郎(マンボウマニア)・石井龍太(ご当地ヒーローマニア)
【ナレーション】
石井しおり
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「次課・長州の力旅」について
「次課・長州の力旅」は、BSフジで不定期に放送されている番組である。
次長課長と長州力が、街を探索しながら日常に潜む様々なモノの魅力を学ぶ。
普段なら気にも留めないモノにほとばしる情熱を注ぐマニアたちの案内で、各ジャンルの「聖地」を散策。よくある散歩番組とは一線を画し、ベタな観光スポットには、立ち寄らず、その道のマニアたちと共に新たな目線で街ブラを楽しむ。マニアの情熱に圧倒されながらも、徐々にその熱にはまっていく3人の姿の姿は必見。人を強く魅了する熱き力を体感するアカデミックバラエティである。
スローガンは、「ありふれた日常を見直すキッカケに…」
マニアたちの様々なモノの教えを教わった後に長州が、川柳で締めるのがお約束である。
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「次長課長」について
「次長課長」は、吉本興業東京本社に所属する日本のお笑いコンビ。1994年4月結成、NSC大阪校13期出身。略称は次課長(じかちょう)。当初はトリオだったため、グループ名は『次長課長社長』であった。その由来は大阪府で2人がアルバイトしていた居酒屋で、社員だった次長と課長にお金をもらい、励まされたことから。2人とも岡山県出身。
井上 聡(いのうえ さとし、1976年2月2日 - )
ツッコミあるいはボケ担当、立ち位置は向かって右。
熊本県玉名市出生、岡山市北区奉還町出身。
岡山市立京山中学校、岡山学芸館高等学校(旧金山学園高等学校)卒業。
身長175cm、体重65kg。血液型B型。
愛称はさっとん。
喫煙者でヘビースモーカー。お酒は基本的に飲まない。
河本 準一(こうもと じゅんいち、1975年4月7日 - )
ボケあるいはツッコミ担当、立ち位置は向かって左。
愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間出生、岡山市北区奉還町出身。小学校3年から卒業まで津山市に住んでいた時期があるため津山市出身と表記されることもある。
津山市立津山東小学校、 岡山市立京山中学校、岡山県立東岡山工業高等学校卒業。
身長162cm、体重60kg。血液型AB型。
愛称は準ちゃん、ヌルヌル王子。
ヘビースモーカーかつ酒豪であったが、急性膵炎を2010年・2015年と2度発症して以降は酒が飲めなくなったため現在は基本的にお酒を飲まない。また同様の理由でラーメンや揚げ物も控えている。なお、喫煙を控えているかどうかは公言していない。
近年ではネタでもボケ・ツッコミが逆転する時があるため、はっきりとしたポジションは決めていないという。
中学・高校時代
岡山市立京山中学時代に野球部で知り合う。遅れて入部した河本が初めて練習へ参加した日、監督が部員にキャッチボールをするよう言ったにも拘らず1人だけバットを持ってフルスイングしていた井上に話しかけ、一緒にキャッチボールをしたのが2人の出会い。それからは毎日のように一緒に遊ぶ仲になる。
2人はこの中1の頃に出会って以来、今まで一度もケンカをしたことがない。
2人とも運動神経は抜群だったが、勉強は苦手だった。中3の頃に8000人が受けた岡山県内の模擬試験で河本が7980位、井上が7982位だった。そのため高校へ進学できるのか先生も悩んだが、井上は野球のスポーツ推薦で私立高校に進学。河本は定員割れの学校を見つけて県立高校へ入学した。
それぞれ違う高校に進学したため一時期疎遠となったが、高校2年時に河本が井上宅へ遊びに行って再会。再び交流が深まり、頻繁に遊ぶようになった。
河本は小学校から9年間サッカーをやっており高校ではチームのキャプテンを務め、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。しかし高校2年の秋、ある試合でのシュート失敗が河本のサッカー人生を狂わせ退部を決意。その後は同じサッカー部でクラスメイトでもあった山下正人(のちにトリオを結成)と、これといってお笑いに興味があった訳でもないが『素人名人会」に出場。漫才を披露し、初挑戦ながら敢闘賞を受賞した。
高校卒業後、河本は就職先が見つからなかったものの井上は親戚が営んでいたガラスサッシの枠を作る会社への就職が決まりかけていた。しかし河本から「吉本に入ろう! ジャッキー・チェンに会えるで!!」と誘われ、そのまま現在に至る。井上を誘った理由は「友達の中で、井上が一番面白かったから」。
大阪時代
2人はNSCに入学するため、18歳で地元・岡山から大阪へ。
NSCでの面接試験の際、河本は笑いに対する熱い想いを真剣に語って合格するも井上の方は指されず一言も発さなかったにも拘らず受かってしまった(陣内智則曰くNSCは黙って話を聞いていれば合格できるらしい)。
1994年4月結成。NSC在学中は河本・井上・山下のトリオで『次長課長社長』だったが、1年ほどで "社長" (大阪在住の兄に生活費を援助してもらっていて最も財力があったので社長担当だった)の山下が「岡山に帰ります」と帰省したまま戻らず、そのまま現在のコンビになった。
結成当初は3人で一緒に住んでいたが、3か月で家賃が支払えず追い出された。
社長(山下)は現在、埼玉県狭山市のhair&smile Switchという理容室を経営している。今でも交流は続いており、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングにて初登場時には電報を送ってくれたり時々ルミネtheよしもとに足を運んでネタを見物するなど誰よりも次長課長を応援している。
ほぼ同期にはスピードワゴン・スギちゃん(NSC名古屋校2期、現在は共に別事務所で活動)、タカアンドトシ(札幌吉本1期生)、シャンプーハット・ガレッジセール・サバンナ(いずれもNSC経験なし、オーディションやスタッフ業からデビュー)がいる。また半年後輩にはフットボールアワー、1年先輩にはロンドンブーツ1号2号や山口智充・ペナルティなどがいる。年齢が上である品川庄司(品川は3歳上で庄司は同学年)は1年後輩にあたる(ちなみに品川は年下の2人を「さん」付けで呼んでいる)。
河本は19歳の時、ホストとして働いたことがある。度々披露しているタンバリン芸はこのホスト時代に覚えたもの。また働いていたホストクラブでNo.3だったと称しているが、その店にはホストが4人しかいなかった。
成人式の時は2人で久しぶりに地元へ帰ったが、汚ならしい私服で行ったため式場に入る許可が得られず、式典には参加できなかった(当時は貧乏で、スーツを買うお金もなかったから)。
1995年、心斎橋筋2丁目劇場にてデビュー。2丁目劇場閉鎖後は1999年にオープンしたbaseよしもとの主力メンバーとして活躍。単独ライブは毎回タイトルに東京23区の区名がつけられ、全23回開催された。このライブシリーズにはフットボールアワー、ストリーク、レギュラー(7区目 - )らが毎回出演していた。
レギュラーの「気絶」ネタは次長課長が考案したもので、松本康太は井上の家に半年間、河本の家に1年間居候していたことがある。
河本が椎間板ヘルニアで入院した一時期、井上は師弟関係にあるケンドーコバヤシとコンビを組んで一緒に学園祭などの仕事を行っていた。ツッコミなしでボケにボケを重ねる形のネタを披露して非常に好評だったらしい。
しかし河本が退院した直後に行われた、次長課長単独の復帰ライブはだだスベり。劇場の3階にある本屋のレジの「チーン」という音が聞こえたほどのスベりようで、劇場においてある種の伝説になっている。
チャイルドマシーン(解散)が東京進出する際、カラオケでシャ乱Q「上・京・物・語」を嗚咽混じりに歌唱して彼らを送り出した。
一度だけ初回のM-1グランプリに出場したことがある。1回戦は突破できたが、次戦にてコントを披露して2回戦進出に終わった。
2002年9月23日、東京23区の最終ライブ「中央次課長」を以て本人たちの意向によりbaseよしもとを卒業。
卒業ライブでは407人という、baseよしもと(座席数233席)の観客動員記録を作る(この記録は2010年のbase閉館まで破られなかった)。
東京
2002年10月、東京進出。
東京での知名度はほとんどなかったため、1からのスタートとなった。ルミネtheよしもとの舞台には出演していたが、他の仕事はゼロに近くなった(当時の給料は大阪時代の約4分の1に減少)。
当時の月給は4万円で、河本はルミネの近くにある託児所に子どもを預けて出番が終わると歌舞伎町の風俗案内所でアルバイトをしていた。河本の妻がクラブホステスをして家計を支えたため、困窮はしなかった。
2003年秋から、TBSの深夜番組『U-CDTV』でネタ見せのコーナー「お笑いCDTV」ライブが始まり、次長課長だけが毎月必ず出演。東京では珍しく、いくつかの代表的なネタがフルで放送された。この番組をきっかけとして、次長課長が東京のテレビ関係者に認知され始めたらしい(この時、マニアックモノマネの「Vシネマ」(当時のタイトルは「ヤクザのセックス」)なども完全に放送された)。TBSに関しては、「お笑いCDTV」終了後、同じスタッフが始めた『Goro's Bar』での東京初レギュラー出演につながり、さらに『うたばん』出演や単独冠番組『次長課長のヨイショ!』などへと繋がった。
あくまでコンビ名なので、どちらが次長でどちらが課長というわけではない。だが、ごくまれにバラエティで「次長 河本」「課長 井上」という設定になることもある(『タモリ倶楽部』に出演した際には「吉本工業 Yoshimoto Industry」という名刺を出したことがある)。また、『めちゃ×2イケてるッ!』内のコーナー「恋のかま騒ぎ」では次長子(の彼)が河本、課長子(の彼)が井上という設定である。
同期である吉田敬(ブラックマヨネーズ)は、昔から河本を「次長」、井上を「課長」と呼んでいる。
2005年1月1日放送の『こっちも生だよ芸人集合! 今年最も売れる吉本No.1決定戦 やりにげGO'05』にて、占いで今年最も売れる芸人第1位に選ばれたのが井上、逆に最下位に選ばれたのが河本というある意味奇跡のような結果が発表された。
『ズバリ言うわよ!』(2005年3月8日放送)にて、細木数子に「このコンビ名だと井上が貧乏になる、今度から『ピンク&グリーン』にしなさい」と指摘されたが、結局改名はせず逆にスターダムへのし上がった。一時は本気で改名をするか迷ったが、居酒屋でアルバイト時代にお世話になった次長課長に恩義を感じていて改名には踏み切れなかった。このエピソードによって、『細木数子-魔女の履歴書』(溝口敦)の人物相関図にもコンビ名が記載されている。
コントのネタ作り以外は、井上をこの世界に誘ったのも東京行きを決めたのも河本。ゆえに2005年10月31日放送の『めざましテレビ』の「広人苑II」では「ネタ作りの主導権は井上、人生の主導権は河本」と述べている。
2005年以前、TBS『さんまのSUPERからくりTV』の前説を担当していた。2005年12月18日、同番組にゲストとして初出演。長年続いていた長寿番組だが、前説を行っていた芸人がゲストとして出演するのは初めてであった。
2人とも歌唱力は高く、『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』では第3回大会優勝・第4回大会準優勝という好成績を残している。ソロ曲だけでなく、2人の息が合ったハモリを披露した。
井上は「マンスリーよしもと」が毎年恒例に行っている吉本男前ランキングで2006年度、2位に倍以上の得票差をつけて1位に輝いた(ルミネtheよしもとのお客さんに聞いた「抱かれたい芸人ランキング」でも初の1位を獲得。また「子供にしたい芸人」では7位)。河本は「吉本ブサイクランキング」の8位、「お父さんになってほしい芸人」3位にランクイン。
井上は2006-2008年度まで、3年連続で吉本男前ランキング1位に輝き、殿堂入りとなった。
2006年3月28日放送、「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!2週連続2時間スペシャル第1夜!!」にて井上が芸能界に入るきっかけとなった人物であり、河本も大ファンだったジャッキー・チェンとの共演を果たした。井上は『プロジェクトA』のワンシーン「テーブルの上で歌う人のまね」、河本は「オメェに食わせるタンメンはねぇ!」をそれぞれジャッキー本人の前で披露した。
2006年5月3日-5月5日、『ごきげんよう』に出演して3回連続で「当たり目」を出した。同年5月29日-5月31日に再びゲスト出演、ここでも2回連続で当たり目を出して「5投連続当たり目」という番組史上初の記録を達成した。当たり目はすべて「マニアックものまね3連発」であったため、合計25ネタ披露した(同番組2006年5月の月間MVP受賞)。
「晴れる道 〜宇宙人(オメェら)に合わせる顔がねぇ!〜」でCDデビュー(2006年5月31日発売、R and C)。JK名義で出しており、テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』の4代目オープニングテーマとして2006年4月-9月に放送された。作詞も手がけており、プロデュースは小室哲哉が務めていた。
2006年8月に放送された24時間テレビで、企画MCとパーソナリティを務めた。
大阪時代は必死で覚えた岡山訛りの大阪弁で話していたが、東京進出後は関東弁(関東方言)や共通語を使うことがほとんど。
これについてたむらけんじは「あいつら(次長課長)は岡山も捨て大阪も捨てた」と語っている。
2008年3月29日放送のTBS『オールスター感謝祭』にて、ローションを塗って相撲を取るゲーム中に河本が転倒し胸を強打。病院で診察を受けた結果、肋骨骨折で全治1か月と診断された。しかし、河本は自ら復帰を志願し、3日後には特番収録に参加して仕事復帰を果たした。
2012年4月に河本の生活保護費不正受給問題が浮上してからは、レギュラー出演していた『火曜サプライズ』を9月に降板。その後、バナナマンと隔週で出演していた『シルシルミシルサンデー』も降板するなど仕事が激減し、コンビでのレギュラー番組は一時消滅した。
火曜サプライズでは2017年5月30日放送分で5年ぶりに出演。MCを務めるウエンツ瑛士は「ただただうれしい」と喜び、河本も「私もうれしい」と同調した。
ネタ
出囃子は「英雄故事」(ジャッキー・チェン主演「ポリス・ストーリー」主題歌)。
コント・漫才
コントにおいて最大の特徴は「しつこい」ネタであることを持ち味とする。
ネタ作りは基本的に2人で行うが、主導権は井上が握っている。河本が街で見かけた特異キャラを井上にプレゼンし、日常生活においてツッコミで笑うことは不自然と考える井上はリアリティーにこだわる。
心斎橋筋2丁目劇場閉館(1999年3月)頃まで、井上がボケ・河本がツッコミを担当していたが入れ替わった。しかし一部のネタでは、今でも井上がボケを行うコントや河本がノリツッコミをするパターンもある。
大阪時代は漫才・コントともに披露していたが、東京進出後は河本のキャラを生かしたコントが主流になった。現在でもごくまれに漫才を行うことはある。
大阪時代はコント・漫才の他に、ギターを弾いたり歌を歌ったりの一発芸的な要素を取り入れるなど様々な方法に則ってネタを披露していた。
2人は即興性を好むということもあり、昔からネタ合わせをあまりしない。舞台ではネタ中にアドリブを入れることがよくあり、河本のボケに対して井上が本気で笑っている場面がぼちぼちある。河本はネタ中には滅多に笑わない井上を笑わせることが何よりも嬉しい。
単独ライブなどで披露するコントは、全体的にブラックな雰囲気を纏うものが多い。
「同窓会」が怖いネタとして知られている。他に「チコちゃん」「ゴミ屋敷」なども怖いネタとして挙げられる。
コントでは河本が様々な特異キャラを演じ、井上が優しくツッコミを入れる。相方の頭を叩くなどの鋭いツッコミはしない(『アメトーーク!』にて、関根勤が「井上君のツッコミは柔らかくて自然だ」と評している)。
「のぶお」など井上がボケ、河本がツッコミとポジションが逆になっているコントが数個ある。
滑舌の悪い不動産屋のコントを、ビートたけしが「TVで初めて見たとき、悔しくてしょうがなかった」と絶賛している。また、このネタを『徹子の部屋』で披露した際は「芸人キラー」とも呼ばれる黒柳徹子が珍しく大笑いした。
鉄板ネタでもあり、ショートコントやモノマネなど幅広く使われるネタである。
実際に舞台へ来て生でネタを楽しんでもらいたいという2人の意向により、未だに単独ライブのDVDは発売しない方針である。
マニアックものまね
2人とも普段から人間観察をするのが好きで、それを元にマニアックな視点からモノマネを考えるのが得意。
元々マニアックなものまねは、大阪時代に中川家と楽屋が一緒だった時に「こんな人おるな」という細かいモノマネを競い合ったことから生まれたもの。そのため、中川家と共同開発したネタも含まれている。今でも中川家と同じ楽屋のときには、楽屋内4人で即興コントをしている。
『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』では「マイナーものまねシリーズ」と題して、毎回マニアックなモノマネを披露している。
モノマネのレパートリーは、大ファンであるジャッキー・チェンに関するものが多い。
河本の代表的ギャグである「お前(オメェ)に食わせるタンメンはねぇ!」(映画『酔拳』の脇役のセリフ)は、実際に映画の中でそのセリフがあったわけではない。『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した際、河本がアドリブで考えたフレーズである。披露した時にウケが良かったため以後このフレーズを使うようになった。なお最初は「タンメン」ではなく「ラーメンはねぇ!」と言っていたが、それを聞いた石橋貴明が「タンメン」と聞き違えたためそのまま「タンメン」で定着した(実際にあったセリフは日本語吹き替え版での「そうは酢豚の天津丼だ!」)。このギャグは最近河本は使っていないが2009年3月17日のなべあちっ!で世界のナベアツが使った。2009年3月18日のシルシルミシルで河本は「タンメン」と言われ、井上は「イケメン」と言われた。
「オマエ似てるからこれやってみたら」とこのネタを最初に考えたのは、ジャッキー好きの井上だった。
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